ヴァルハラとは北欧神話における楽園的存在の一つ。英雄たちが死後ワルキューレ達によってそこに導かれるとされる地。昼には皆が戦い、夜になれば戦死者すらも甦り、昼に戦った敵同士でさえも共に酌み交わし宴を行うとされる。ある種の不老不死の世界にも思えるが、実際には神々の戦いであるラグナロクに向けて集められた兵士たちの訓練と労いの繰り返しとされる。そこに集められた英雄たちの魂(エインヘリヤル)はヴァルハラで世界の命運を分ける戦いに備えているのである。また、死者の魂を連れて行くとされるワルキューレ(戦乙女)は、中世では戦場における死神とイメージが混同されており、様々な絵画において戦死者の隣に立つ死神の姿が描かれ、表題にワルキューレの名が冠されていた時代があった。その反面、戦士たちにとってはヴァルハラに招かれるというのは最高の栄誉であるとも考えられており、戦う当事者たちにとっては甘美な誘いだったという。この辺りに関する逸話は特にバイキング達の間でもてはやされた傾向があるといわれており、心理学上では戦場における高揚感の慢性化と刹那的快楽主義の象徴という見方が論じられている。来るべき時に備えての戦いというのも民族性の高さ、すなわち仲間意識の強い北欧圏における特徴の一環ではないかと見られている。また、ワルキューレは死体に集るカラスだったのではないかという説がある。これはさきに記した絵画における死神の横にも頻繁に鴉が描かれていたこともあるが、そも彼女らの使えるオーディンの使いにフギンとムニン(思考と記憶の意味)という二羽の鴉がいた話に通じるものがある。鴉は知識の象徴であると同時に、死者を導く案内役であり、また神に使える場合には特に過去へと遡る力を持つとされることなどからもこの考察が見当違いでないことは伺える。つまり、ヴァルハラにおいての昼夜の関係(再生と不老)についてこそが過去へと時間を遡り繰り返しているという思想である。その他、興味深い考察としては女性を鳥類に例える文化は世界中に広く散らばっている点も見逃せない。同じ北欧圏でも自然崇拝やドルイドたちの思想では禿鷹を天の御使いと見る場合があり(現代でも鳥葬文化が残っている地域もある)、中欧では女性歌手をカナリヤに例える言い回しが古くからあるほか、日本では外娼などの女郎を夜鷹と呼んだりもした。ヴァルハラでの夜の酒宴はワルキューレ達が酌をしてもてなしてくれるともいわれることを考えると一層意味深に思える。女性限定ではないが、アフリカのとある部族の伝承では死後の魂は鳥となり大空に還るというものもあり、御霊を天上に連れ行く存在として同様の思想が世界各国にあることが伺える。つまりヴァルハラとは天国の一つともいえるが、そこにたどり着けるのは歴戦の英雄のみとされるのが独自の思想であるといえる。ここも多くの世界を旅してたどり着いた諸兄の想いを連れゆくヴァルハラになるべくしてこのように名づけられた。 |